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取材日:2015年08月15日 東三河

信玄原の火おんどり 新城市信玄塚

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戦国時代まで遡って、武田と織田徳川連合軍が相まみえた長篠の合戦、諸説ありますが、武田騎馬軍が織田の鉄砲隊に撃破され、戦国時代の趨勢が一気に形作られたこの戦いの翌年に、この祭の起源はあります。戦の翌年、この地で蜂が大発生しました。村人はこれを武田の祟と畏れて、その怒りを鎮めるために大供養を行なった、そのとき死者を弔うために灯した多くの松明が蜂退治に功を奏したのか分かりませんが、蜂は消え、村人はこれを供養のおかげだと喜び、松明の祭が始まる起源となったそうです。昭和の中頃の文献によれば、当時、火おんどりは京都の大文字送り火などとともに日本の三大火祭に並び称せられていたらしいです。江戸時代にはこの信玄原に福来寺という寺があってこの寺の庭で火おんどりがされていたのですが、明治維新の際、廃寺となり以来、寺跡で行われるようになったとのことです。
大きいものでは3mにもなろうかという大松明を1人の男が勇壮に8の字を描くように振り回す、ときに火に包まれているかとも思えるような光景は素晴らしいものです。8月15日夜の9時頃から始まる祭で、その日は同じ新城市内で大海の放下やなべづる万灯なども行われるため、山間の盆の風情を存分に味わうことができます。
ちなみに信玄原も信玄塚も長篠の合戦の前に死没した武田信玄とは無関係で、本来の地名は新間原と書いたそうですが、いつの間にか信玄原と呼ばれるようになったそうです。

 


開催時期:8月15日(開催日時は主催者にご確認ください)
ところ:新城市信玄原 設楽原歴史資料館隣り
交通:JR飯田線三河東郷駅から徒歩15分
公式HP:http://www.okuminavi.jp/search/detail.php?id=509


 

松明の火元は400年来世襲されているそうです

松明の火元は400年来世襲されているそうです

 

 

広場に松明が到着するといよいよ始まる

広場に松明が到着するといよいよ始まる



おびただしい火の粉が降り注ぐ

おびただしい火の粉が降り注ぐ

 

松明は長さもさることながら太さも凄い

松明は長さもさることながら太さも凄い

 

ヤーレモッセ モーセモセ ナンマイダー と念仏の掛け声

ヤーレモッセ モーセモセ ナンマイダー と念仏の掛け声

 

 火は様々な形を作り出す

火は様々な形を作り出す

 

祭の壮大さは戦当時のこの地の惨状の裏返しかもしれません

祭の壮大さは戦当時のこの地の惨状の裏返しかもしれません

 

祟りを祓う気持ちがこの祭を盛大にしていったのでしょう

祟りを祓う気持ちがこの祭を盛大にしていったのでしょう



見方を変えれば平和を願う祭だったのかもしれません

見方を変えれば平和を願う祭だったのかもしれません

 

絶え間なく続くそうですから、昭和の大戦が終結した日はどんなだったのでしょう

絶え間なく続くそうですから、昭和の大戦が終結した日はどんなだったのでしょう

 

祭は終盤にさしかかり松明もだいぶ短くなりました

祭は終盤にさしかかり松明もだいぶ短くなりました



最後の力を振り絞って松明を振ります

最後の力を振り絞って松明を振ります



400年も続く鎮魂の祭はこうして終わる

400年も続く鎮魂の祭はこうして終わる


 

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